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看板屋日記。

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20年間の軌跡~4~

まずは、やはり親父の会社に挨拶に行きました、「今日から頑張る事にしました、宜しくお願いします」

しかし、それですぐ仕事をもらえるほど甘くはありませんでした。バイトの時あれだけうまいと言われていた作業も実際プロとして通用するレベルではなかったらしく、「お前にはまだ金は払えんわ!通常の半額程度でよければ考えてやってもいい」などと言われてしまいました。

ひどい言われ方に、くそ~~~!!っと思いましたが、ここはぐっと飲み込んで。修行のため、今後のためと、半額でも仕事をさせてもらうよう頭を下げたのです。プロとしてお金をもらう、稼ぐということの厳しさをまずここで実感したのでした。

そんな調子で始めた看板屋「マーキングニーズ」ですが、最初はやはり仕事もめったにまわしてもらえませんし、開店休業状態で、暇な時間を過ごす毎日でした。

看板の仕事がないなら、他のことでもして、とにかく何か少しでも収入を得なくては、と、当時は空いた時間に色々なアルバイトをしたものです。

まずは、知り合いの土木建築屋でのバイト。ここでは、荷物運びやアスファルトのならしなどを手伝い、約2ヶ月間、日給7500円をもらっていました。

それからラーメン車(これは最高に面白かったな~~)。朝1時間仕込みをして、夕方から深夜2時頃まで販売していました。売り上げは平均すると13,000円位で、取り分はオーナーと折半だったので6500円マイナス材料費。深夜まで働いてもこの程度だったので、割りにあわない仕事でしたが、これが結構楽しかったのと、意外と性に合っていたのでしょうか、昼間は看板屋をしながらも1年間、2足のわらじ生活を続けたのでした。

あとは、会社(兼自宅)の場所が、北九州市民球場の目の前なので、野球のある日はいつも、会社の前で迷わず生ビールを売っていたものです。生ビールのサーバーもレンタルして来て、結構本格的に売っていたのですが、これも結局、1日やって儲けは3000円位だったかなあ~~。

 苦しい下積み、修行時代。ちょこちょことある看板の仕事と、こういうアルバイトで、なんとか食いつないでいた日々なのでした。

つづく・・・・・・・・

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20年間の軌跡~3~

さて、またまた無職になってしまった私・・・、この先何をしようか考えました。

実は兄貴と一緒にやっていた頃、私はお客さんとまともに話すことが出来なかったのです。看板屋としては当時はまだバイト程度の知識しかなく、色々質問されてもちんぷんかんぷんで満足な応対ができませんでした。

そんな状態で一人で看板屋を続ける自信はなく、たこ焼き屋、焼鳥屋、ラーメン屋、、、なにかそういう新しい商売をはじめるのもいいかな、と考えてみたものです。

ただ、色々考えてもやはり手っ取り早いのは看板屋。それに当時の私にも得意分野もありました。それは、カッティングシートの手切り。当時はまだカッティングマシーンはほとんど普及しておらず、シートは手切り、もしくは筆書きでの施工でした。そんな中、私は誰よりもカッティングシートの手切りが早くてうまかったのです。

そこで、20才の私の一大決心。・・・せっかく身につけた特技を生かしていこう、知識はやっていくうちについてくるだろう、(それに、看板屋勤務の親父に頼んで少しは下請けもさせてもらえばいいか、などというちょっと甘い考えもありつつ(笑))よし、看板屋を始めよう!!!

それが、若干20才の時に名付けた、屋号「マーキング・ニーズ」の誕生なのでした。。。

つづく・・・・・・・

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当時の写真(19歳の私)

おれ19
なつかし~~~~左側の悪そうなのが私です。(今はかなりまじめですよ・・・笑・・・)

右側が同じ大学で商学部だったせみです。(あだなです)

ちなみにせみは、牛乳屋の息子でいつもせみの下宿の冷蔵庫にはパンと牛乳が入ってたな~~よくもらってました。

当時は、見ての通りのかなりのヤンキーな私なのでした。

つづく・・・・・・

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20年間の軌跡~2~

19才の夏、バイトに明け暮れた7~8月が過ぎ・・・。さて、お待ちかねの給料日です!現金をにぎりしめ、当時一番仲のよかった友達と一緒に門司の小さな中古車屋に行きました。

ただ、気に入った車はどれも予算オーバー!結局予算内にたどり着いたのは幻の名車、三菱のランサーセレステ。10万円ちょうどの安くてかなり古い車でしたが、何せ人生最初の車。うれしかったな~!宝物を手に入れたあまりの喜びに、無理矢理中古車屋にかけあって、その日そのまま乗って帰らせてもらった私なのでした・・・・(笑)

さて、車は手に入れたものの維持費もなく、デート代もなかった私ですが、当時は特に就職しようとは 思っていませんでした。

ぶらぶらしていたそんなある日、大阪の内装屋に就職していた兄貴から連絡があり、<看板屋を始めるけ、手伝え>と言われ当時2人ではじめたのが、アート・ユーという看板屋でした。最初の半年は壁画を書いたり、車の文字入れなど結構仕事があったのですが、8ヶ月目に突入したぐらいから、仕事がなくなりはじめ、経営がうまくいかないこともあり、兄貴とも大喧嘩になり、残念ながら1年足らずで廃業。

そして、兄貴は別に就職をきめ、1人取り残された私は・・・・・・・・・・ つづく

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20年間の軌跡~1~

今年で41才になる㈱アシーク 代表の上岡です。今日より初めてのブログを書く事にしました。

さて、まず、なぜ看板屋になったのかと言う事からお話しましょう。

小倉生まれで玄海育ち九州産業大学デザイン課を2年で中退あれは確か19の夏でした。

まずは、父親が取締役専務として勤めていた㈱朝日工芸社(看板屋)にバイトに行くことにしました。炎天下の中、自立看板のポール(スチール100角パイプ)をまず、ラッカーシンナーで拭上げる事からはじまり紙ヤスリで表面にキズをつけ錆止めを塗る作業をしたのですが、最初はほんといやだったな~・・・。

シンナーで頭がボーとするわ、汗が流れて見にくいわ、ラッカー塗料をダンゴにすると怒られるわでとても大変だったのです。 でも、この作業は中学生の頃からずーとやっていたので、当時でも既に手際はよかったはずです。(なので、結構重宝されたかな??^^)

そういえば、実はこのバイト、当時の彼女とドライブする為に車を買いたいのが目的でしたっけ・・・・・・笑・・・・・・・ つづく

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