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看板屋日記。

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20年間の軌跡~1~

今年で41才になる㈱アシーク 代表の上岡です。今日より初めてのブログを書く事にしました。

さて、まず、なぜ看板屋になったのかと言う事からお話しましょう。

小倉生まれで玄海育ち九州産業大学デザイン課を2年で中退あれは確か19の夏でした。

まずは、父親が取締役専務として勤めていた㈱朝日工芸社(看板屋)にバイトに行くことにしました。炎天下の中、自立看板のポール(スチール100角パイプ)をまず、ラッカーシンナーで拭上げる事からはじまり紙ヤスリで表面にキズをつけ錆止めを塗る作業をしたのですが、最初はほんといやだったな~・・・。

シンナーで頭がボーとするわ、汗が流れて見にくいわ、ラッカー塗料をダンゴにすると怒られるわでとても大変だったのです。 でも、この作業は中学生の頃からずーとやっていたので、当時でも既に手際はよかったはずです。(なので、結構重宝されたかな??^^)

そういえば、実はこのバイト、当時の彼女とドライブする為に車を買いたいのが目的でしたっけ・・・・・・笑・・・・・・・ つづく

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| 未分類 | 15:27 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

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上岡社長のブログを見て 自分の昔のことを思い出しまた・・・

幼稚園・小・中学校の休みに 父親について行って 楽しかった記憶・・・
右肩は、脚立 左手は、ペンキのボックス 現場に着くと脚立を設置 筆とペンキを用意・・・「新鮮だった」 
安全な脚立のたて方・次に使いやすい 筆の洗い方・ペンキの調合の仕方・相手の事を思いやる行動・・・「面白かった」
ペコペコ頭を下げる父親・・・「悔しかった」

高・大学の休みに 父親の会社でバイトして楽しかった・長期休みに遊べなかった苦痛な記憶・・・
夜中班として21:00からよく朝7:00までステッカーを作っていた・・・「夜中班の名前が好きだったが・・」
現場が忙しい時は、現場でステッカーを貼っていた・・・「走って走って面白かったが・・」
ペコペコ頭を下げる父親・・・「理解したが悔しかった」

昔の記憶が頭に浮かびました。

これからもブログを掲載して昔の記憶を思い出させて下さい。

| | 2008/07/01 12:02 | URL |















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