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看板屋日記。

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20年間の軌跡~5~

そんなある日、当時21才の私のもとにふらりと同級生の仲間がやってきました。同じ大学を中退した吉川と、同じ高校だった友定です。

そこで、何故かなりゆきで、ほとんど売上もない状態のままいきなり2人の従業員をかかえることになり・・・頭のきれる吉川と、黙々と作業をこなす職人肌の友定と、3人体制での新しいマーキングニーズがスタートする事になったのです。

まずは、中古で買った営業車(15万円の軽で、重ステ、箱バン、クーラーなし!)で3人で飛び込み営業に回ってみることに。商店街の隅に車を止め、店舗をかたっぱしから回り、名刺を配り、営業活動をしてまわりましたが・・・2週間そんな日々に明け暮れても、結果、売上は3人で5,000円(涙)。他にも色々なことをやってみましたが、何をやっても全くうまくいきませんでしたね・・・。世の中の厳しさを痛感!

結局、最初の月の売上はなんとたったの15万円しかあがらず、、、 でも、経営者として、給料を払わないわけにはいかない!と、15万に私のなけなしのバイト代を5万合わせて、二人に給料を10万ずつ渡しました。恐縮する二人に、いいよいいよと言いながら、陰で涙を呑む私なのでした・・・

こうして、苦しい日々はまだまだ続くのですが^^;、そんな中、ある日突然、何を思ったのか、二人に会社をまかせて、東京に行ってしまう私だったのです。

つづく・・・・・・・・

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20年間の軌跡~4~

まずは、やはり親父の会社に挨拶に行きました、「今日から頑張る事にしました、宜しくお願いします」

しかし、それですぐ仕事をもらえるほど甘くはありませんでした。バイトの時あれだけうまいと言われていた作業も実際プロとして通用するレベルではなかったらしく、「お前にはまだ金は払えんわ!通常の半額程度でよければ考えてやってもいい」などと言われてしまいました。

ひどい言われ方に、くそ~~~!!っと思いましたが、ここはぐっと飲み込んで。修行のため、今後のためと、半額でも仕事をさせてもらうよう頭を下げたのです。プロとしてお金をもらう、稼ぐということの厳しさをまずここで実感したのでした。

そんな調子で始めた看板屋「マーキングニーズ」ですが、最初はやはり仕事もめったにまわしてもらえませんし、開店休業状態で、暇な時間を過ごす毎日でした。

看板の仕事がないなら、他のことでもして、とにかく何か少しでも収入を得なくては、と、当時は空いた時間に色々なアルバイトをしたものです。

まずは、知り合いの土木建築屋でのバイト。ここでは、荷物運びやアスファルトのならしなどを手伝い、約2ヶ月間、日給7500円をもらっていました。

それからラーメン車(これは最高に面白かったな~~)。朝1時間仕込みをして、夕方から深夜2時頃まで販売していました。売り上げは平均すると13,000円位で、取り分はオーナーと折半だったので6500円マイナス材料費。深夜まで働いてもこの程度だったので、割りにあわない仕事でしたが、これが結構楽しかったのと、意外と性に合っていたのでしょうか、昼間は看板屋をしながらも1年間、2足のわらじ生活を続けたのでした。

あとは、会社(兼自宅)の場所が、北九州市民球場の目の前なので、野球のある日はいつも、会社の前で迷わず生ビールを売っていたものです。生ビールのサーバーもレンタルして来て、結構本格的に売っていたのですが、これも結局、1日やって儲けは3000円位だったかなあ~~。

 苦しい下積み、修行時代。ちょこちょことある看板の仕事と、こういうアルバイトで、なんとか食いつないでいた日々なのでした。

つづく・・・・・・・・

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